(500)文字のレビュー『22年目の告白-私が殺人犯です-』★★1/2「ウェットないつものやつかと思わせておいて、パズルミステリーとして引き込まれる快作」

『22年目の告白-私が殺人犯です-』★★1/2

藤原竜也さんの今までのフィルモグラフィを踏まえた見事なキャスティングと言えるでしょう。また父親を殺された娘を演じた夏帆さんの、胸をえぐられるような芝居は必見。色々と「被害者」という記号的な芝居は数あれど、あそこまでなんの衒いもなく「そりゃそうなるだろうなあ」と素直に思わせてくれる芝居はなかなかお目にかかれない。

ミステリーなので「感想」そのものがネタバレになる可能性が大いにあります。厳密なネタバレは避けますが、未見の方はご注意ください。

「洋画偏重」の毛のあるわたしのような映画ファンは、藤原竜也さんが「ゲスな殺人犯」と聴いた時点で、「ああ、いつものかな」となってしまうという非常によろしくない偏見があります。しかもたちが悪いことに「いつもの」作品そのものも殆ど観た記憶がないわけで、すべて予告や企画の段階で「敬遠」しているのがほとんどです。

映画に限らず、自分のアンテナをしっかり磨いていれば、なんとなく地雷は避けられるものですが、「観ないと何もわからない」ということも歴然とした事実です。

というわけで、なるべく邦画を観ようと心がけている昨今ですが、今作も「観ておいてよかった」と思える作品でした。

そもそもわたしが邦画の「いつもの」という偏見のもとになっている要素に「お涙頂戴」に代表される「ウェット」な質感が得意ではないという事があります。近年ですと「ミステリー」として期待した『ロクヨン』が正にソレのせいでまったく楽しむことができなかった事がありました。「警察ぁそんあこともわからねえのかあ」というセリフを借りれば、「作り手ぁそんあこともわからねえのかあ」というところです。

もっとも、日本の観客が「そういう」ものを常に求めていることも知っていますし、その手の要素があったほうがヒットすることも重々承知の上で、「だったらウェットでもいいから、せめてミステリーとしての面白さもちゃんと頑張ってくれよ」ということです。

先日観て衝撃を受けたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『プリズナーズ』がまさにそんな感じでしたし(あれはウェットなんて次元でもなくなるんですがw)、日本の映画でももちろんそういう映画もたくさんあります。ただ、どうしても『砂の器』に代表される「ウェット偏向」の傾向は呪いのように「日本映画ミステリー」の中に横たわっているようで……(いや、まあ『砂の器』が傑作なのがまた罪作りといいますかw)

あくまでも個人的な趣味としてなのですが、「ミステリー」というものに筆者が求めるのものは、『刑事コロンボ』とまではいかなくても、「あ!」っと驚かされるようなトリックを解き方や、「お!」と思わせるような謎の解明だったりするわけです。

そういう意味では『ロクヨン』にもちゃんと「ああ、なるほど」と思わせるギミックが終盤に用意されていているんですけど、いかんせんそのカタルシスにはまったくウェイトを置かない作りだったのが憎たらしいのです。

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そこで今回の『22年目の告白』

「連続殺人犯が時効成立後に告白本を出版して耳目を集める」というプロットと、その殺人犯を演じているのが藤原竜也というところから、筆者のような「洋画偏重」マンには『藁の楯』とか、藤原竜也のゲス映画ね、ハイハイと。

ところがフと、「でも、藤原竜也が殺人犯で告白本を出版って出落ちみたいなプロットをどうやって長編にしているんだろう?」と。

逆に言うと、その先のストーリーが実は予測がつかなかったと。

大変失礼なことですが、そういう「冷やかし半分」といった気持ちで観てきた次第です。

つまり、この映画が「実はミステリー」でしたというのも、実際には観るまで知らないという、結果的に宣伝の掌に踊らされていたということに。

ですので、レビューのタイトルからして実は「ネタバレ」になってしまう難しい作品なのです。

それを踏まえた上で考えると、極めて上質な宣伝戦略だと言わざるを得ず、その戦略が当たって興行的にも【3週連続首位】という結果を残しているのはお見事。

【ネタバレ含みます】

さて、本編。

わたしが観る前に「うんざり」していた、「藤原竜也さんが連続殺人犯のゲス」というキャスティングそのものが、最大のトリックだったということ。これにはヤられました。

そして、今度はクライマックスにかけて、「では誰が犯人なのか?」という部分でも、ウェットな展開になるところを、もう一捻りちゃんとミステリーとしての「謎解き」が用意してあり、そこは「動画解析シーン大好き人間」として「おお!」と興奮させてもらいました(多少物足りないし、もっと上手いやりかたがありそうとはいえ)。

福本伸行原作、かわぐちかいじ作画のこちらのコミックは、まさに「ウェット」と「トリック」を見事に両立させた傑作ミステリーとして大好きな作品です。クライマックスの展開はまさに「うおおおお!」っとなること請け合い。そして、時効成立がキーになっている部分も、今作と共通点も多い。

とはいえ、殺人シークエンスの「残酷さ」や「猟奇さ」としての表現が現在としては物足りないなあと思えました。95年当時のビデオの質感を出すにしても、やはりアングルや芝居などでもっとリアリティが生み出せたと思うのは高望みでしょうか? あまりにも作り物臭いので、「これ本当は被害者もグルになって別れさせる新手の商売なんじゃないの?」とか穿った考えまで浮かぶほどでした。そもそも、「記録」に残したいのは「被害者」の死ぬ瞬間じゃないだろう?と。あえて「近親者の目の前で殺す」なら、残すべき記録は「近親者の表情」じゃないのかと。そこを再現映像でやるのは「悪手」ではないかと。まあ、その「近親者の苦悶の表情」も役者さんの力不足なのか、「愛する人が目の前で為す術もなく殺されていく」という説得力には欠けていましたけどね。

もっとも、やはりこの作品は誤解を恐れずに言うなら「パズルミステリー」に近い作品だと思いますので、そこの部分にウェイトを置くとまた違ってしまうのかもしれません。

筆者自身は「藤原竜也が殺人犯じゃない」というあたりからの三幕は大変楽しめました。

まあ、それにしたって、「あんたらが鈍くさいから」ってあたりの「ゲス」さ加減のさすがさは、「お芝居」を超えた強みがあって、「いやあ、藤原竜也いいなあ」とw あのゲスさ加減があってこそのミスディレクションですもんねえ。

【116分/シネマスコープサイズ/2K】(イオンシネマ板橋9番スクリーンにて鑑賞)

野村芳太郎と橋本忍と丹波哲郎にかかると、ここまで「圧」のある作品になるのかとショックを受ける作品。

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