(500)文字のレビュー『マンチェスター・バイ・ザ・シー』★★1/2「適材適所とはまさにこのことと言わんばかりのキャスティングが冴え渡る」

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』( Manchester by the Sea)★★1/2

ポスターにも使われているミッシェル・ウィリアムズ演じる元妻とケーシーの会話(?)シーン。本編を観るとただただ胸抉られるような凶暴なシーンになっていました。

『神が不穏という概念を生物化したらケイシー』『不穏という表意文字の元を辿ればケイシー』『不安と不穏がセックスしてシーツに残ったのがケイシー』『グーグルで不穏を検索したら第一候補がケイシー』と言われて久しい、「不穏」の代名詞とも言えるケイシー・アフレック。本年度アカデミー賞主演男優賞を今作で受賞した今や、まさかもう「ベン・アフレックの弟」という説明は不要とも言えるケイシーですが、兄貴譲りの「魂が感じられない」芝居を常に行い、観ている人間を常に「不安」な気持ちに陥れる稀有な存在感をまとう第一級の役者さんになって随分経ちます。駄作『ブリザード』の唯一褒めるべき部分と言われるケイシーの「ゆで卵剥き剥き」に代表されるように、どんな作品でも「絶対不穏」要素として重宝される存在ですが、そんな彼を全世界にアプローチしてしまった『マンチェスター・バイ・ザ・シー』とはいかなる作品なのかと、公開ほぼ最終日とも言うべき日に滑り込んで鑑賞してきました。

役者さんには大きく分けて二種類のアプローチがあります。それはその作品で観客に伝える情報を身振り手振りや表情などを使って「分かりやすく」表現する方法と、『メッセージ』のレビューでも書いた「モンタージュ理論」に任せて、出来る限り情報の伝達を絞って観客に委ねる方法です。

ケイシーは兄のベン同様、ハリウッドでは珍しい後者のアプローチを主に行う役者さんです。兄のベンは芝居で一番有効なパーツである「目」を完全に殺して芝居をするので、観客はそのキャラクターの感情を能動的に読み取る必要があります。

当のケイシーに至っては、「目」どころか、表情や佇まいも含めて最小限の記号的な動きで殆どの芝居を見せてくれます。「北野武」映画で好まれるお芝居ともいえますね。最小限の情報しか与えられないので、観客は常に能動的な視聴を強いられます。

映画は「キャスティングが半分」と言われるほど、キャスティングが重要視されます。逆にキャスティングがうまくいけば、その作品はほとんど成功したも同然と言えるようです。

というわけで、今作『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

「大きな喪失を背負ってしまった人間」というキャラクターにケイシーをキャスティングした時点で完全勝利してしまっている映画なんです。

しかも加えて、この映画は他のキャスティングも「それ以外無い」としか思えないようなパーフェクトなキャスティングになっているので、観ていてまったくノイズがなく、時折挿入されるマンチェスター・バイ・ザ・シーの海のように凪いだ気分で没入できるのです。そして、それゆえその「大きな喪失」と、ドラマがそこで描いていくパーツの連なりが、胸をグイグイと締め付けてくれことから逃れられないわけですね。

とはいえ、本作の好ましいところは、そういった「重く」なりがちな(いや、実際に重たいんですけど)ドラマを描く本筋で、「え? それ笑っていいの?」というユーモアが随所に取り入れられており、個人的に伊丹十三監督のデビュー作『お葬式』の「そのシチュエーションで描くとギャグになってしまう」を彷彿としてしまいました。

カテゴリーとしては【重喜劇】とでもいうような妙な作品になっていて、決してケイシーの独壇場を楽しむだけの作品にはなっていないのがポイント高かったと思います。

なんといっても兄貴を演じているカイル・チャンドラーが最高にいいんです。周りの人間が「あいつは良いやつだった」と口を揃えていうだけの説得力をもっています。

なんせ、弟の部屋に家具がないのを心配して「ソファを二組」買ってきますからね! それがラストで生きてくるんですよ!!

あ、もちろんケイシーがいきなりガラスを殴りつけるあたりも含めて、「不穏なケーシーを観に来たのに!」という多くの人たちにも満足していただけるシーンもたっぷりあるのでご安心ください。(そして、その手の傷の描き方とかも最高なんですよ)

冒頭病院のシークエンスにおける「放し飼いの野良犬でも扱うようにケイシーに接する人々」ってあたりから、ガッチリ掴まれます。

そういえば、なんの前触れもなく回想シーンが入ってくる構成なのですが、本来は時系列で作る予定だったのを、後でこういう形にしたそうです。もう完全に「回想」という映像文法は人口に膾炙したと考えて良いんでしょうねえ。

【137分/ビスタサイズ/2Kマスター(イオンシネマ板橋12番スクリーンにて鑑賞)】

ベンとマットの出世作ですが、ケイシーの初々しい姿も見ることが出来ます。ちゃっかり要所要所で不穏な雰囲気出しているのが笑える。

ベンの初監督作品として、主演を任せられるのはお前しかいないとばかりに登場するケイシーが、完全に兄を乗り越えるような不穏分子をまったく違和感なく演じていてお見事。

とかくノーランやIMAXやマコノヒーやジマーで語られがちなSF巨編ですが、地上パートに登場するケイシーがクライマックスのサスペンスを意味不明にキツめに縛り上げてくれます。

エンターテイメント路線にいってしまった伊丹十三監督ですが、このデビュー作の持つ「妙な感覚」はたまりません。続く『タンポポ』が興行的に失敗してしまったのでこの路線を突き詰めることはありませんでしたが、日本のコメディの持つ可能性を大きく感じさせてくれた作品です。

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