『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』(The Founder)★★★

「味がある」としか形容のしようがない顔面と挙動の持ち主ですが(例の鳥のような動きと喋り方)、昨今では顔面のシワなども実に良い味付けを加味しており、画面に出てくるだけで「絵が保つ」役者さんですが、今作でも冒頭から延々顔面のアップでセールストークを披露するという素晴らしさ。
「復活!」という表現は現役の役者さんに対して大変失礼な言い方になってしまうのですが、近年のマイケル・キートンの復調ぶりは大変頼もしい限りですね。当時は散々「全然似合ってない!」とか抗議運動まで起きていたバットマンなのに、全世界規模での大ヒットになったらなったで、「バットマンのマイケル・キートン」という肩書が30年近く経っても拭い去ることが出来ない皮肉。それでも、マイケル・キートンは黙々と仕事を続け、『バードマン』を経て、傑作『スポットライト』に至っては完全に映画の格を一段階上げる信頼感を確立していました。
今作はそんなマイケル・キートンを見たいという目的に加えて、誰もが知っている『マクドナルド』という超巨大フランチャイズ(恐らく世界で一番有名なんじゃないでしょうか?)がどうやって出来たのかというお話にも興味があったのも事実です。
果たして本作は(あくまでもフィクションとしてですが)マイケル・キートン演じる「口八丁手八丁とでも形容していいような、世界中にゴロゴロ転がっている一発当てて成り上がってやるぜ」マンの立身出世モノとして大変楽しめるのと同様、実際にはそんな主人公に(結果的に)カモられてしまった「マクドナルド兄弟」の視点が重要な意味を持つ作品になっていました。
もちろん野望こそあれ主人公のクロックも悪気があったわけではないでしょう(まあ、親切の押し売り同様悪気がないほど始末の悪いこともないわけですけど)。実際自分で店舗を出店してからは兄弟の教えを守り、余計なアレンジをする出資者とは縁を切りますし、やる気のある若者を次々と責任のあるポジションに抜擢していったりしますし。結果的にマクドナルドは世界一のシェアを誇るフランチャイズにのし上がったのも間違いなくクロックの努力と野心の賜物にほかなりませんしね。
ただ、この作品の面白いところは、やはりこの主人公クロックのピカレスクロマンとして完成させているところでしょうね。この資本主義社会のはびこる現在ではクロックのような山師が実際に成功するシステムが構築されていますし、現に富裕層の殆どが「○○を☓☓して△△にした」というような、言葉は悪いですが他人の褌でのし上がっている人ばかりでしょう。それも含めて世界中の大多数の貧困層を対象としている映画産業などからすれば、こういったアプローチのほうが当然受けが良いわけですし。
というわけで、この作品のもう一つの魅力は、自分たちの作り上げた素晴らしいシステムをまんまとクロックにかっさらわれたマクドナルド兄弟の災難ではないかと。
「8つ同時にシェイクが作れるマシーンを発注したばっかりに、最終的にこっ酷い目に遭う」
というプロットラインに、わたしはすぐ藤子不二雄A先生の傑作『不気味な侵略者』(魔太郎がくる!!)を思い出しました。
興味津々で目をキラキラさせたクロックに、つい「中を見てみるか?」と声をかけてしまったばっかりに、悪運ピタゴラスイッチにまんまとハマってしまった兄弟。このちょっとした「見栄っ張り」といいますか「自慢話」をしてしまうという普遍的なあるあるシークエンスがまた見事で。レストランで次々と自分たちの画期的なシステムをクロックに聞かせる場面で、画面は次々とその話に合わせて過去の映像がモンタージュされ、それこそ「マクドナルドが一歩も二歩も先行できたシステム」の素晴らしさを観客に見事に提示され、先述の「マクドナルドってどうやって成功したんだろう」という興味を満足させてくれます。ここらあたり序盤のさばきかたはさすが信頼できる監督であり元脚本家でもあるジョン・リー・ハンコックの美味さ(もとい)上手さでしょうね。
とはいえ、クロックがその可能性に気づき、なんとか「噛んで」いこうとする熱意にほだされた結果、がんじがらめの契約書を作りながらもその「侵略」を許してしまう兄弟。すでに結果の分かっている観客からしてみればまさにこの心境。
『魔太郎がくる!!』藤子不二雄A(秋田チャンピオンコミック)11巻より引用
↑うわあああ! やめろお! 早く縁を切るんだマクドナルド兄弟ぃ!!
劇中でも言及されているように「お前は何もやってないだろう!」に尽きるわけですけど、現代社会では「正直者が馬鹿を見る」のが世の理ってやつなんですよ。
一応クロック自身の「虚無感」的なものを作品の中ではバランスを保つために匂わせていますが、当然成功者がそんなシレっとした事を考えるわけもなく、ただただマクドナルド兄弟の被った不条理な恐怖譚として楽しむのが、今作の本当の魅力でしょう。
それが明らかになるのは、いよいよ終盤となるトイレでの会話。
<以下ネタバレ>
契約を反故にされ、まんまと「創業者」としての地位や名誉まで、なにもかも奪われてしまったマクドナルド兄弟が、クロックにトイレで訪ねる
「どうしてお店のシステムを全部バラしたのに、自分でとっとと店を創業しなかったんだ?」
そう。観客も全員序盤のくだりを観ている段階から、どうしてこのアイデアを盗んじゃわないんだろう? システムの特許が申請されているわけでもないだろうにと。
そこでクロックが答える。
「俺の他にも店の中は見せてだろう。そして、どいつもこいつもソレをパクっただろう。でも誰も成功してやしない。どうして失敗したか分かるか? ……名前だよ。”マクドナルド”(マクナァル)の響きが大事なんだよ。”マクドナルド”にはアメリカ好みで美しい響きがあるんだ。”クロック”なんてスラブ語みたいな名前の店で食べたいと思うか? ”マクドナルド”だよ。それこそ重要なんだ」

『ゾディアック』で強烈な個性を発揮し、足の組み方一つで嫌悪感を見事を表現したジョン・キャロル・リンチ。『グラン・トリノ』でもイーストウッドの喧嘩友だちである床屋の親父を説得力満点の頭で好演していました。今回も画面に出てくるだけで「あ!ゾディアックの!」とすぐに分かるオトクな役者さん。
オープニングで披露していたようにクロックは口八丁手八丁がスキルです。だからこそ、その「音」の響き、「言葉」の魔力や力を即座に見抜いていたわけですね。
当然それに当人たちが気づいていはずもなく、そんなこと言われても納得できるはずもありません。だからこそ狸に化かされたような不条理な悲劇に遭遇し、それに納得することもできないまま、自慢の店の名前も奪われ、そこには例の「8本同時にシェイクが作れるマシーン」が打ち捨てられているだけ。
そもそも、序盤の巧みな編集や作劇でマクドナルドの画期的なシステムを観客に味あわせ、クロックの巧みな話術と人を巻き込む展開は、すべて「映像文法」という一種の「口八丁手八丁」と同じ「技術」によって錯覚させているわけですから、擬似的にとは言え観客もまんまとその掌で踊らされていたような感覚に陥るんですよね。
あのくだりの見事なフィニッシュと、背徳的な快感と同情の生み出す優越感を味わえるのは今作最大の魅力ではないでしょうか。
監督のジョン・リー・ハンコックは元々脚本家で、イーストウッドの監督した『パーフェクト・ワールド』などを書いていました。監督に転向してから『アラモ』のリメイクで興行的にひどい目にあいましたが、その後はいずれも安定した秀作を発表しており、個人的には信頼のおける監督です。
マイケル・キートンをはじめ、出演者が全員素晴らしい芝居をみせてくれるアンサンブルドラマの大傑作。
キッカケが些細であればあるほどその不条理さが際立つという意味では、その最高峰とも言える恐怖譚がこちらの『座敷女』。「隣をノックする音がうるさいので、ちょっとドアを開けてみたら……」というキッカケの持つ恐怖ときたら……