『ウィッチ』(The VVitch: A New-England Folktale)★★★1/2※CULT

主演のアニャ・テイラー=ジョイ。『スプリット』同様、その独特の美貌と妖しさが今作の説得力に貢献した功績は大きい。
「家庭崩壊」をモチーフにした海外のホラー映画は数多く、「疑似家族」まで含めると半分ぐらいのホラー映画は当てはまるのではないかと思えるほどです。そうではなくても、どのジャンルにしろ「家族=ファミリー」的なアプローチは鬱陶しいほど向こうの映画には充満しています。どっちにころんでも、「家族」というものを大切にしているように見せかけて、実のところ一番その拠り所の不安定さに誰もが不安を持っていることの象徴ではないでしょうか。
とまれ、今作も『シャイニング』や『悪魔の棲む家』(今作でも父親がずっと薪割りを続けるあたりに明確なオマージュが感じられます)に代表される「家庭崩壊」を題材にしたホラー映画ですが、タイトルが「ウィッチ=魔女」というだけあって、実は鑑賞以前の想定を上回る「オカルト」色の強さに驚かされた次第。先行している話題や、目にするビジュアルからして「アート系ホラーなんでしょ?」という先入観はいい意味で裏切られることに。
とはいえ、原色をことごとく抑えたグレーなビジュアルや、「よく見つけたな」と思わせる荒涼としたロケーション、リゲティを思わせる気色の悪い音楽などなど、パーツパーツは「アート系ホラー」の系譜に則っているのですが、そのアプローチ自体は基本的に70年代の「オカルト映画」に代表されるようなソレ。中でも顕著なのは、いわゆるホラー映画お約束の「ギャアアアン!!」という音楽が突然鳴り響いて驚かせる虚仮威しが、今作でも何度も用いられることです。実際薄ぼんやりした映像と陰鬱としたストーリーが続くことで、何度か眠気に誘われる箇所も多いのですが、この古典的とも言える虚仮威しが存外上手くいっているのも嬉しいやら驚くやら。特に中盤で森に迷い込んだ弟のシークエンスは本編随一のショックシーンが用意されており、久々に心臓急停止レベルのドキイイイ!が味わえました。その絶妙に不自然な位置から素晴らしいタイミングで現れるソレを是非堪能していただきたいもんです。
<以下ネタバレを含みます>
「実際に魔女そして悪魔が存在する」という結末に向かうストーリーラインの中、現実では考えられないいわゆる「超常現象」的な事象が積み重なっていくのにも関わらず、その描写は極めてリアリスティックな物になっているのが特徴的。「フっと消えてしまう赤ちゃん」「吐き出されるリンゴ」「ヤギの乳が血になる」などなどが、そのまま写実的に描かれるので、頭のなかでは完全にオカルトの領域に突入していることが分かっているのに、どこかで何か合理的な帰結があるのではないかという儚い期待を抱かせるあたりも悪質(褒めています)。

写実的な描写の極めつけとも言える「実際に雨の森のなかに煙の出る家から現れる女性」本編では薄暗い映像の中から湧いて出るように登場し、その赤いローブがぼんやりと見えてくる。ヤギの血とこのローブなど、原色の抑えられた画作りの中で使われる「朱」色が生理的な恐怖を喚起します。スピルバーグが『ジョーズ』でとった演出を彷彿とさせます。
果たして、家族が全員疑心暗鬼の中崩壊し、最近の映画では珍しい「殴りたくなるようなガキ」も含めて死亡。いよいよ残された主人公のトマシンに直接的に悪魔が語りかけてきます。そして、すべてを失ったトマシンは抗うこと無くそれを受け入れる。
「宗教」という物に名を借りた「呪い」とも言える「家族という呪縛」が生み出す本編の窒息感。この窒息感から最終的に解放される主人公が、同じ道を辿った仲間(魔女たち)の元に合流して昇天していく姿には奇妙なカタルシスが生まれており、なんだか「良かったなあ」と安堵さえ誘われます。この感覚どっかで味わったなあと思ったら、最近再び話題になっている『ツイン・ピークス/ローラ・パーマ最後の7日間』を観終わった後に近いでした。あれも、ローラ・パーマーがやっと呪縛から開放されて昇天する物語でしたもんね。
追記:それにしても新宿武蔵野館は見難かったなあ。噂には聞いていましたけど、シネコンになれしまった現在では、傾斜のない座席によって前の人の頭が邪魔になるなんて金返せってレベルですよ。スクリーンも小さいし!
国内版発売決定!
2年も前の映画なので、海外ではとっくにソフト化されています。
本編を観ていて一番連想したのは大ヒット作のこちら。賛否両論ありますが、わたしは大好きなので、「魔女」に対するアプローチは真逆にも関わらず、地続きに感じてしまう。
不気味で美しい音楽も聴きどころ。これを聴くにつけやはり『2001年宇宙の旅』というSFにリゲティの音楽を使ったキューブリックというのは本当に天才だったんだなあと思います。
今作の監督も相当のキューブリック信者だと思われる節がところどころに。そもそも一家が「何か」に惑わされて崩壊していくというのが同じですよね。
やはり父親がどうかしてしまうというのは、家族にとっては恐怖以外の何物でもないわけですよ。このモチーフは現実社会の過程では薄皮一枚でいつでも起こりうる、そして実際にほとんどの過程で体験される恐怖そのものなんですよね。オカルトに名を借りた極めてリアリティのある恐怖なんでしょう。まあ、『シャイニング』とか観ると、逆に抑圧されている父親が「やっちまえ!」とグレディに囁かれるあたりや、実際に「やってやる!」を実行するジャック・ニコルソンなんかに感情移入しちゃうカタルシスもあるんでしょうね。
映画単体で観ると相変わらずリンチならではの「なんだ、こりゃ?」という感じでもありますが、筆者などは結構最後のあたりで感動してしまったんですよね。