『HiGH & LOW THE MOVIE 3 FINAL MISSION』★★

今作でも実質的な主人公として一座を引っ掻き回していくコブラ先輩。「もう拳だけじゃ解決できねえ」と珍しく泣き言を吐くが、まあ確かに先輩の解決方法は常に蹴りだよなという説得力はある。
「ひぃんぺえできんだよ!」
岸谷五朗氏によるドスを効かせすぎてファルセットボイスに昇華された名セリフに対して、一直線な心根をストレートに蹴りで答えるという名場面でモノの見事にクリフハンガーで終わった前作から3ヶ月。
『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』から『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3』あるいは『マトリックス・リローデッド』から『マトリックス・レボリューションズ』、はたまた邦画でも『ちはやふる』や『3月のライオン』などでも前後編的な公開形態を一部で浸透してくるなか、EXILEの『HiGH & LOW』プロジェクトの最後を飾る(はず)の今作が遂に公開!
まさかの蛇足感
前作『HiGH & LOW THE MOVIE 2 END OF SKY』は問答無用の快作だった。「あらすじ」ともいうべきアヴァンタイトルからして普通では考えられないようなテンションで始まり、そのテンションが頂点に達したところで実はまだまだ上がりますと言わんばかりのものすごいアゲかたでタイトルが入ってくるあのノリ。
今作はそのタイトル自体がやたらと地味に出て来るアタリからして、テンションが全体的に低めのまま、「え? まだそんな裏があったの」という蛇足感丸出しのシナリオが展開。通常同時進行であるはずのプロジェクトであるなら、前半あれだけ盛り上げておいて後半コレでいいんすか琥珀さん! となるのが通常の映画脳での判断。
んが、
そもそもこのプロジェクトは壮大なEXILE TRIBEのPVムービーなのだ!
ということを忘れてしまいがちなのが映画ファンのズレた視点であり傲慢さ。
かつて!
音楽はレコードというパッケージで発売されていた。それには「A面」「B面」という概念があり、「ウラとオモテ」では当然選曲は曲順などもそれに沿って構成されているのが通例だ。
今回のこの前後編においても、我々凡百の映画脳の持ち主には計り知れない商業的計画が隠されているのだ。
クライマックスの爆破シーン
【公開爆破セレモニー】という夢のようなパワーワードをもってきたハズが、我々の目に飛び込んでくるのは
「え? プレステ1?」
と見紛うばかりの、ある種芸術的な意図でもなければこの21世紀につくれないレベルの爆破映像だ。
もちろん実写で大きな爆破もあるにはある。
とはいえ、『シン・ゴジラ』が地上波で放送している現在の時間軸であの映像のクオリティを良しとする判断はない。
明らかに「予算が前作で尽きた」としか思えないような台所事情が多々表出する、極めて「一直線」な映像作品なのだ。
前後編なのに、その力配分がまず何より普通では考えられない。そもそも津川雅彦さんがセリフもないままいつの間にか倒れているシーンなど、笑って良いのかどうかの判断も困難。
とはいえ、なぜそれが成立するのか。
それは、これが「映画」という興行形態とは違う部分で成立しているからだ。すなわち、EXILEのファンの人たちに「のみ」本来注力して作られている巨大なPV作品として観るのが正しい鑑賞方法だからである。
ひるがえって、我々映画ファンは、「よろしければどうぞ」層なのだ。
もっといえば、「二枚組」の方法論だ。一枚目はシングルカット全力投球のベストアルバム。二枚目はボーナスディスク。
つまり「蛇足」ではなく「ボーナス」
そこにチャンネルが合わさった瞬間。
つまり、作品の中盤。
そこで、実感。
琥珀さんがクローズ・アップで見栄を切り、あの魅惑の低音ヴォイスで啖呵を切る。
「蹴散らせ!」
刹那!
主題歌「HIGHER GROUND」が劇場をどよめかせ、画面が一気に躍動する。
「んだよコレ! 卑怯だろ!!」
と。
燃えるに決まってる。
今までさんざん世界観をキッチリと構築してきたビジュアルが文字通り爆破された途端、フジテレビのドラマのような安っぽい記者会見場に琥珀さんや雨宮兄弟が登場するあたりのシュールさと、「夢から覚める」ような感覚も含めたファイナル感は唯一無二の味わい。
映画としては言いたいことは山ほどあるのは承知の上で、EXILEのPVとしての興奮を味わえるのはこのシリーズだけという、当たり前だが真っ当な矜持を画面から殴りつけてくる異様なカタルシスを持ってきただけでも料金分の価値はある。
とは言えYOUが出てきて「お金なくなったんじゃない」とハッキリ宣言しているので、「今回は俺達の負けだ」としか言いようがない。