(500)文字のレビュー『聖の青春』★★★「『イタズラなKiss』に込められた切ないメッセージ」

『聖の青春』★★★

(出典:natalie.mu)異常な「実在感」を持ってして、羽生善治のことを何も知らなくても「そっくり」だと思わせてしまう驚異的芝居を叩きつけてくる東出昌大。

正直言って「3月のライオン」実写版にはモヤモヤしたものが終始残ってしまったのですが、実際の棋士「村山聖」と(将棋界のことをまったく知らない筆者でもその名前は知っている)「羽生善治」を描いたこちらの『聖の青春』を観たときに少しその謎が氷解したような気がしました。

劇中3度描かれる村山聖対羽生善治戦の持つ熱量の高さ。「殴り合わない格闘技」としか形容のしようがないその「戦い」の圧倒的描写を観ていて、「ああ、こういうのが観たかったんだ」と。もちろん、「3月のライオン(実写版)」には罪はない。こちらの勝手な思い込みと希望を押し付けるのは作品に対して失礼極まりないことではあります。

とまれ、わたしはまさしくこういう「戦い」が観たかったということにつきます。何度も頭をかきむしり、正座をしたり足を崩したり、最終的には将棋盤に覆いかぶさるようにして(それこそボクシングのように)、頭がぶつかりそうな勢いでお互いに終始身体をガタガタ揺らしながら脳をフル回転させる。しかも、時間の読み上げなどが始まるというテンションの上がり方。メッチャクチャ熱い。

もちろんそこに至る過程としてのドラマがメインディッシュであるのは明白で、夭逝した主人公の生き様や、「相手がいないと潜ることができない思考の深み」という常人には図り得ない究極の業を背負って戦い続ける天才など、(少しセンチメンタルに過ぎるきらいはあれど)観客の胸ぐらを離さない力強さをもって迫ってくる。

中盤でふたりが飲み屋さんで話すシーン。背景の窓の外に静かに降る雪。「映画の中の雪」が大好きな人間として、久しぶりに「良い雪」を見せてもらった。そして、そのシーンがクライマックスでリフレインされるのもまた胸に迫る。

主演の村山聖氏を演じるにあたって体重を増量した松山ケンイチ氏は、文字通り体当たりとも言うべき力演。顔面がどうしても松山ケンイチなのがまったく気にならなくなるほど深く演じてくれてました。

が、

噂には聴いていた、羽生善治さんを演じる東出昌大氏。彼がまったくもって素晴らしくて震えがくるほど。『クリーピー』の時にも「え!? こんなに空っぽの芝居(褒め言葉)よくぞできるな!」と驚いたのですが、今回の羽生善治さんもまた「そのまんま」と思うしかないほどの天才感と狂人感が共存している。特に中盤での「まけ、ました…」という言い方! そして、対局後の感想戦の喋り方や挙動。実際のそういう場面は不勉強でまったく観たことも聴いたこともない筆者でも「すげえリアリティだな!」と思わせてくれる。それこそ「芝居」の醍醐味なんじゃないでしょうか。とにかく「只者じゃない」ブリが半端じゃない。

そんなふたりのほとばしる圧巻の芝居がぶつかり合うクライマックスの戦い。これはもう下手したら「ロッキー」のアポロ対ロッキーの試合に匹敵するかもしれないほどの感動を味わいました。

やはりアポロのキャラが立っているからこそロッキーの戦いが感動するわけですからね!

加えて、筒井道隆氏もいい感じに枯れてきて素晴らしかったし、村山聖の師匠を演じるリリー・フランキーさんも(歯の黄色さまで含めて)飄々としながら透明なほど映画に溶け込む名演でした。

最後に。主人公がずっと読んでいる少女漫画として多田かおるさんの描かれた『イタズラなKiss』が小道具として登場し、新刊をお取り寄せしてまで読むほど大好きだという描写があります。実はこの『イタズラなKiss』は漫画読みにとっては「作者が急逝して未完になった作品」の代名詞とも言える作品なのです。そして、主人公村山聖さんが亡くなったのは1998年8月。『イタズラなKiss』の作者多田かおるさんが亡くなったのは1999年3月なんですね。特に本編では細かいことは語られていませんが、双方「志半ばで亡くなってしまった」ということとは別に、死ぬときに漫画が完結していないということは、読者と作家の関係ってのも「勝負」の相手と似ているんだよなあと個人的に思ってしまいました。

【124分/シネマスコープ・サイズ/HD】(ブルーレイをホームシアターにて鑑賞)

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