【映画初見日記】その1『ゾンビ:1986年2月』怖くて怖くて震えすぎ、鑑賞後のお風呂で湯船が波立った!

映画の初見はたった一度の大切な想い出です。そんな初見の想い出をツラツラと。

『ゾンビ』(DAWN OF THE DEAD)1986年2月ビデオにて鑑賞

1985年ホラーブームの時流にのってCICビクターから発売された『ゾンビ』初版ジャケット。この禍々しいイラスト!そしてジャケット裏の脳症爆発ショットとロジャーに襲いかかった金髪ゾンビのビジュアル!疑似ステレオによるSTEREO表記も思い出深い逸品。「手に取る」のも恐ろしい雰囲気が確実にみなぎっています。

2017年7月16日。ジョージ・A・ロメロ監督死去のニュースが世界に発信されました。1968年のデビュー作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』によって、この世に「モダンゾンビ」を誕生させた偉人であり、続編である1978年の『ゾンビ』によってホラー映画に金字塔を打ち立て、その後の娯楽映画史に大きな影響を与え続けるクリエイター。

今回はそのロメロ監督の代表作にして、映画史上に残る名作と断言しても過言ではない『ゾンビ』との出会いをツラツラと書いてみたいと思います。

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時は1986年2月ー

中学一年生の終わりを迎えようとしていたわたしは、友人たちと連れ立って一つの映画を観に行きました。その名は『コマンドー』

こちらも思春期に観てしまうと凶悪な影響力を発揮してしまう作品ですね。観た後自分で角刈りにしようとして失敗してしまったなんて事は黒歴史にもならない全中学生の思い出でしょう。

基本的に映画を一人で観に行くタイプのわたしでしたが、この『コマンドー』に限っては珍しくクラスの男子たちも観たがっていたようで、なんとわたしを含めた4人組で観に行きました。後にも先にもこんな「よくある子どもたちの映画鑑賞」体験はあの時ぐらいです。

さて、ここで『コマンドー』の初見日記を書いてしまうと長くなってしまうので話を戻しますと、わたしの住んでいた広島は政令指定都市とはいえ基本的には地方都市。つまり、当時の地方映画興行では「同時上映」という「二本立て」が基本でした。なので、この『コマンドー』にもちゃんと同時上映がついていたのです。それが

『バタリアン』でした。

やはり『バタリアン』はこのジャケットですよね!

どうですかこの夢のような二本立て! これだけマーケティング的に完璧な二本立てもないんではないかと。中学生以外一切眼中にないこの潔さ。二本合わせてみても『タイタニック』より短いんですよ。

今回の『ゾンビ』初見に関して、どうしても個人的に避けては通れないのがこのダン・オバノン監督による傑作『バタリアン』なんです。

当時日本では、1970年代から始まるオカルト映画ブームに続き、1980年代に入るとスラッシャー映画などの映画もブームになり、そして1984年から日本中で一斉に展開され始めた「レンタルビデオブーム」がキッカケとなり、1985年から空前のホラー映画ブームが日本中に巻き起こっていました。

そんな中わたしは、当時(今もですが)極度の怖がりで、ホラー映画なんてもってのほかという状態。なので、東芝から発売された『死霊のはらわた』の極悪なジャケットなどを観るだけで血の気が引くような状況にさらされていました。

こんな凶悪なジャケットが家電コーナーのビデオの横に置かれ、あまつさえ店頭で本編が流されたりしていました。なんと平和で幸せな時代だったことでしょう。

わたしはそもそも「映画」そのものが好きではなかったのです。なぜなら「映画」は「恐いもの」という能の刷り込みがあり、それによって映画を肉体が拒絶していたのです。

では、なぜ「映画」が「恐いもの」だと刷り込まれたのか。

ここでメビウスの輪を超えてビヨンド・ザ・タイムしてしまうと、そのそもそもの原因はなんと

今回の本題である『ゾンビ』だったのです。

1971年生まれのわたしと同年代あるいは少し上の方々にとって、『ゾンビ』との出会いがどれほどインパクトのあるものであったか。そして、その作品の特異な性質(後述)上、出会った人それぞれの出会い方によって、様々な思い出が形成されている事も、この作品が特別なポジションにある理由の一つでしょう。

そんな『ゾンビ』と映画なんかにまったく興味のなかったわたしがどういう因果で巡り合ってしまったのか。それは、小学1年生も終わろうという1979年3月。友人の家に遊びに行っていた日曜の午後。なぜかその家のテレビで流されていた「TVジョッキー」という番組の映画紹介にて、この忌々しき『ゾンビ』が紹介されていたのです!!

このビジュアルを子供の頃に叩きつけれた気持ちをお察しください。アパート地下での食人シーンもそのまま流されていましてですね。完全にトラウマ!

今回ロメロ監督の訃報をうけてSNSなどで話題になるのは、ほとんど劇場公開時のポスターや宣伝によるインパクトと、実際に劇場で観た方の話題などが多かったのですが、事程左様にこのメインビジュアルともいえるエレベーターゾンビのインパクト足るや凄まじく。

このビジュアル、すべてのゾンビのポーズや配置が完璧と言っていいのに、まさかの「本編の映像」ですからね。どれだけ完璧なショットだったということでしょうか。当然何度かテイクを重ねているのでしょうが、これだけ見事にグワーっと襲い掛かってくる絵面は創造では描けませんよ。

ともあれ、わたしを「映画嫌い」にした悪名高い映画として心に刻まれることになった『ゾンビ』

永遠に観ることなど無いと思っていた『ゾンビ』

そんなわたしでしたが、結局2年後の1981年9月30日、水曜ロードショーで『ジョーズ』を観たために「映画」に狂ってしまうことになりました(そう考えると『ジョーズ』もホラー映画の最たるものなのですから皮肉なものです)。そして、ホラー映画ブームに戦々恐々としながらも、情報だけは耳年増のように入ってくるわけです。

それから数年後。中学生のある日。

購買していた映画雑誌で「日本未公開映画」の海外版ビデオを特集するという、今考えれば「よくもこんな企画が通ったもんだ」と思えるマニアックな特集が掲載されました。本当にブームというのは恐ろしいものです。

その「未公開映画特集」で掲載されいた『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のスチールがこちら。子供心になんとも禍々しいものを感じ、「これは怖そうだ」と。

詳細を失念してしまったのですが、何人かの「その筋で有名な」方々が各作品を紹介し、鼎談も掲載されいたような記憶があります。その中で、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は絶対に見るべき名作として紹介されていました。

今思えばこんな名作が日本未公開なんてどうかしているとしか思えないので、当時の方々にとっては一刻も早く日本でもビデオ発売して欲しかったことでしょう。

果たして、1985年CICビクターから『悪魔のいけにえ』『ゾンビ』『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』『ザ・クレイジーズ』『マーティン』などのホラー映画の傑作が一挙に発売されるという夢のような事が現実になります(わたし自身はホラー映画が苦手だったので、当時は知りもしませんでしたがw)。あとで知ったところでは、かの渋谷パンテオンで発売記念の上映も連日行われたそうで、当時のファンの人達がどれほど発狂したことでしょう。

さて、いよいよ本題ですが、そんなホラー映画の苦手なわたしが、『コマンドー』の同時上映で観てしまった『バタリアン』

これが壮絶に怖かったのは確かなのですが、その緊張感やオフビートなコメディセンス、そして何よりも「エンタメ映画」としての面白さに打ちのめされてしまったのです。よく考えれば『ジョーズ』も『エイリアン』もホラー映画なのに面白いから大好きだったわけで、

「もしかしたらホラー映画って面白いんじゃないかしら?」

と。

完全にセルフうそつきかがみ状態でした。とにかく「面白い映画」を観たくてみたくて仕方なかったので、やはり脳がなんとかしてホラー映画を受け入れさせようとしていたのかもしれません。

幸運だったのは、当時中学生だったわたしはさすがにそこまでのこだわりはなく、「やはりリビングデッド三部作(当時『死霊のえじき』が日本公開決定して盛り上がっていました)というからには、一作目の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』から観たほうがいいのかもしれん」とはならずw 素直にいちばん有名な『ゾンビ』をレンタルしてきたのは、当時の自分を褒めてやりたいと思います。

そのおかげで、日本のほとんどの人々と同じくロメロ作品とのファーストコンタクトが『ゾンビ』という条件になったわけです。

もっとも、当時は『ゾンビ』が続編なんだという知識も無く、別個の独立した作品だと思っていました。なにせ「2」とかでもないですし、そもそもタイトルが『ゾンビ』と独立していたわけですから。

またやはりトラウマを植え付けられた意趣返しという気持ちもあったのかもしれません。

さて、そういったわけで、バスで近所のレンタルビデオショップに行き、いよいよあのジャケットを手に取りました。前から目には入っていたのですが、まさかそれを実際に観る日が来るなどとは思いもよらず、ジャケットを手に持つことにすら恐怖を抱かされました。上述したように、裏のビジュアルも凶悪で「本当にこれ観るのか……」と憂鬱極まりない気分でもありました。

しかも、「観たくなったら居ても立っても居られない」という、現在でも治っていない病気に罹患していたので、よりにもよって土曜の学校帰りに借りてきてしまったのです。結果、夜も更けての鑑賞となってしまいました。さらに恐ろしいことに、我が家は片親の母が入院中(いずれにしろ夜働いているので夜はいないんですが)、姉も妹も家にいつかず、わたし一人の状態での鑑賞となりました。まあ、そもそも映画を観る時はたいてい家に一人っきりという状況だったわけですが……

この時ばかりはさすがにビビりまくってしまいましたが、『ゾンビ』を観たいという強迫観念とも言える衝動を抑えることができず、遂に愛機日立マスタックス VT-11に『ゾンビ』をガシャっと放り込むことになりました。

わたしが初めて買ってもらった日立のマスタックス VT-11フロントローディングではなく上にガシャっと開くトップローディングタイプのエントリーモデルです。酷使しすぎて購入2年後にはベルトが伸びて修理になってしまったほどでした。リモコンも「有線」でしたしねw

もう観た人ならおわかりの通り、『ゾンビ』って冒頭の始まった瞬間から異様に「恐い」んですよ!

あのフワアアンという不気味な音楽と心臓の鼓動音を彷彿とさせる音楽、人間の気味の悪い唸り声のような音とともにジャアアアアンとタイトルが出るだけで、

「これはヤバイ」

と。

とはいえ、「映画を途中で止める」という神をも恐れぬ行為はできない性分でしたので、観始めてしまったのもは覚悟を決めて観るしかありませんでした。

よく覚えているのは、「え!!?? もうゾンビ発生しているの!?」という衝撃。この作劇は、『ゾンビ』成功の要因の一つでもあるわけなんですが、単純に考えれば『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の続編なので、すでに「ゾンビが世界に大発生している」という状況説明の必要がないはずなんですね。とはいえ、10年も前の映画の続編なので、プロローグとしての状況説明をテレビの収録風景でやってしまうというロメロのスマートさに、あっという間に作品内に引きずり込まれました。

そして、アパート襲撃シークエンス。

もう恐怖とかじゃなくて心神喪失に近い状態で、その怖さに身体が対応しきれないんです。あまりにも怖くて当時集めていたモデルガンなどを体中に集めて武装していたのを憶えています。

とにかくそれぐらいの恐怖です。

ショッピングモールにたどり着いたらたどり着いたで、延々とサスペンスとショックシーンが釣瓶撃ちで襲ってきます。ところが、そんな中、いよいよフライボーイことスティーブンが廊下に現れて大ピンチというシーン。ピーターが襲い掛かってきたゾンビを吹き抜けのロビーから放り落とすというパワープレイでピンチを脱し、「そっちへ行くなフライボーイ! やつらが付いてきちまう。こっちだ! こっちへ走ってくるんだ!!」

そこに高らかに鳴り響くゴブリの名曲。超燃える!

このシーンの高揚感がまさに「ホラー映画」というジャンルを飛び越えた「エンタメ映画」としての『ゾンビ』の素晴らしさをわたしに叩きつけてくれたんです!

怖くて怖くてたまらないんですが、ピーターの頼もしさを拠り所として、完全にあのメンバーの5人目として日々の冒険に没頭してる自分がいました。

中盤いよいよモールの中のゾンビを皆殺しにする計画になり、ピーターとスティーブンが銃砲店に忍び込んで武装を始めます。

生まれついての「武装好き」として、このシーンで完全に興奮が恐怖を打ち負かしていました。

編集も手がけるロメロによって、次々と銃を手に取り装弾し、武装していく様子をアフリカンなテンションの高い音楽にのせてテンポよく繋いでいく「映画武装シーン」の先駆けになるシーン。

ロメロは『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』でも主人公のベンが暖炉に火をつけるシーンをテンポよくつなぐことによって高揚感を生み出しており、このシーンはそれを発展したものと思われます。

1980年代アクション映画全盛の頃になると、一挙に武装シーンが乱れ打ちされますが、それらはみなこのシーンの影響下にあることは疑いようがありません。『ゾンビ』がホラー映画の枠を超えたエンタテインメント映画の金字塔である理由の一つです。

武装シーンの極めつけといえば『コマンドー』のコレでしょう。

そんな恐怖と興奮の入り混じった前半が終わると、映画は突如かりそめの平穏を謳歌するシーンに。誰もいないモールの中で、自由気ままに楽しそうに過ごすピーターやスティーブンたち。とはいえ、ロジャーはゾンビと化し、残された3人の間にも空虚な時間が支配していきます。さすがにこのあたりになると「この映画はそんじょそこらの映画ではない」という事が分かってきて、ピーターの落としたテニスボールがモールの外に落下すると、そこには相変わらずの地獄が続いているという描写に至って、再び前半とは別種の恐怖が心に湧き出てきます。

そこには「文明の終わり」である、「終末」が描かれていたのです。

「終末」をテーマにした題材に本格的に向き合わされたのもこの作品が初めてでした。

中学生の自分にはまだ「文明が滅びる」という概念が理解できていなかったのですが、この作品を観ているうちに「この映画には解決はなさそうだぞ」と。そして、「文明の終末」という恐ろしい世界観が、まだ心の準備が出来ていない自分の心に容赦なく叩きつけられます。

そんな中映画では、いよいよトム・サビーニたち悪党軍団がモールに襲撃してきます。

かりそめの平穏は終わりを告げ、再び地獄絵図が繰り広げられることに。

ゾンビが再びモールに溢れかえり、それよりもたちの悪い悪党集団による略奪。まあ、やっていることはピーターたちと別に変わりはしないんですが。

そうこうしているうちに、いよいよスティーブンがエレベーターに閉じ込められてしまいます。

わたしの心と脳が緊急警戒信号を全身に発してきます。「おいおい! このエレベーターはアレじゃないのか!!!!!」と。

果たしてエレベーターは開き、なだれ込んだゾンビたちはスティーブンの足に食らいつく!

このシーンの恐いところは、ビジュアルの凄さもさることながら、天井に登ろうとしているスティーブンの「足」に食らいつこうとするシチュエーションでしょう。『ジョーズ』でもそうでしたが、本人が知らないところで「足」を襲われるという状況は、無意識下で非常なストレスを与えるようで、まさにこのシーンの恐怖は「うわ!!!」というスティーブンの予想もできない究極の恐怖を体感させてくれることですね。挙句に引きずり落とされてゾンビに密室で次々と襲われるという。もうコレ以上はないという恐怖シーン。しかも、スティーブンがぎりぎりでその場をしのいでしまうという。ほんとロメロのシナリオの神がかりっぷりですよね。

結果、クレジットトップの面目躍如とでもいうべき、スティーブン役のデビッド・エンゲが披露する「この世で一番上手いゾンビ演技」が炸裂(なんせ、片足が足首から曲がった状態で延々歩きますからね!)。

ロメロの映画に出てくるゾンビは常に「生前の生活」を反映している個性的なデザインが素晴らしいんですが、このスティーブンも、何度も命を救ってくれたリボルバーを指に引っ掛けたまま延々歩いてきます。絶品!

終盤、ついに始まる「生きたまま貪り喰われる人間たち」の描写に、中盤のかりそめの平穏や、アクション映画の高揚感にすっかり油断させられたわたしの心が再び恐怖に満たされます。とっくにそういう世界だと知っていたハズなのに、ロメロの巧妙な語り口にまんまとヤラれてしまい。結局恐怖が全身を支配してしまいます。

そして、なんとあの頼りになるピーターがフランを脱出させて、自分は残ると言い始める。部屋に閉じこもってデリンジャーをこめかみに当てるピーター。

「ああ、やっぱりこれはホラー映画なんだ……怖い映画なんだ……後味が悪いんだ……」と後悔なのか何なのかまったく分からない感情が怒涛のように巻き起こり、いよいよその時がきたと覚悟を決めた瞬間。

なんと、

ピーターが!!!!

ズドン!!!!!

ゾンビに向かってデリンジャーをぶっ放す!

この大逆転のピーターの心変わりに、わたしは完全に涙も流さんばかりに安堵し、そして「なんて面白い映画なんだ!」と。

もちろん「燃料がもう殆どない」というセリフや、朝焼けの中にうごめくゾンビたちの映像に恐怖はまったく拭い去れないままとはいえ、この映画が「ホラー映画の枠を超えたスーパーエンターテイメント映画」だったという事実に完全に感服してしまったのです。

島本和彦の言葉を借りるなら

「そりゃあハッピーエンドですよ!!!」

に尽きます。

この陽気なショッピングモールの音楽が、ゾンビの支配するモールに鳴り響くエンドクレジット。その物悲しさと「文明の終わり」をこんなシンプルな映像で端的に表現するロメロの演出力に恐怖で疲れきった身体は、感動に打ち震えていました。

不吉な時計の鐘の音と共に映画が終わり、特典として付いていた『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』『ザ・クレイジーズ』『マーティン』などの予告を観ながら、なんとか懸命に身体を立ち上がらせ、なんとかお風呂に入ったんですが、お湯は温かいのに身体がブルブルと震えて止まらなかったのを今でも憶えています。

今思えば、「恐怖」による震えもあったにせよ、「世紀の傑作」の鑑賞による興奮からおこる武者震いだったのかもしれません。もうアドレナリンが出過ぎて身体がブルブルガクガクとw

次の日は日曜日。

起きた瞬間から「もう一度観よう!」「もう一度観られるんだ!」という興奮で、取るものも取らずに二回目の鑑賞をしたのを憶えています。

あの日曜日の晴れ渡った空と、テレビの中の終末のコントラストの心地よさは、今でも地続きでわたしのなかにあり続ける理想郷なのかもしれません。

わたしが映画に求める「安全な部屋の中でノンビリとつかの間の地獄を堪能する」という愉悦。その頂点に今でも君臨し続ける大傑作。こんな映画を作ってくれたロメロ監督には感謝してもしきれません。

ありがとう、ロメロ。

そして安らかに。

『ゾンビ』といえば世界一バージョン違いで有名な作品ではないでしょうか。当然ですが、初見もそれぞれのバージョンで全く違う印象を持ち、当たり前ですが皆それぞれ初見のバージョンが至高の存在になっています。わたしが観たCICビデオ版は米国公開版で、ロメロによる決定版のバージョン。イタリア公開版はダリオ・アルジェントが監修したゴブリンの音楽が全編に流れるアクション映画のようなバージョン、ディレクターズ・カット版はカンヌ映画祭の宣伝のために作られたラフカットバージョンで、ロメロ版ではそこからカットされています。「ゾンビはやっぱり最高ですよね!」と意気投合したとしても、自分の好きなバージョンが違っていたりすると、結構な悲劇を生み出しかねない面倒な映画でもありますw

ゴブリンによるハイテンションのサントラ。ロメロ版でも要所要所で大いに盛り上げてくれ、この『ゾンビ』が他のロメロ映画と一線を画している要因でもあります。とにかく燃えます。

ロメロ版『ゾンビ』を愛する人間には無くてはならない「ストックミュージック」のサントラ盤。先述のショッピングモールの音楽や、古臭いサスペンス音楽などがてんこ盛り。これなくしてロメロ版『ゾンビ』は語れません!

ロメロのデビュー作であり、ホラー映画のクラシックとしてはある意味『ゾンビ』よりも重要な作品。記念すべきモダンゾンビ誕生の傑作。

ロメロ監督による「リビングデッド三部作」の完結編。完全に文明は崩壊したポストアポカリプスの世界を描いた本作は、前二作とはまた違った面白さや味わい深さがたっぷり。『ゾンビ』を観たらこの作品も観たくなること請け合い。

「死者の夜明け」のノベライズ版。ピーターの素性や細々としたディティールが味わえる、ファンなら必読の書。

『ゾンビ』という映画を大好きになったマニアに向けてのみ作られた、愛情あふれる一冊。ファンならぜひとも読んでおきたい。

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